1 | MONO『きゅうりの花』 |
2 | 「サイフォン サイフォン」スクエア |
3 | 「広島に原爆を落とす日」R・U・Pプロデュース |
4 | 「ANOTHER BRICKS IN THE WALL」銀幕遊学◎レプリカント |
5 | 「奥州安達原」(袖萩祭文)長浜曳山子供歌舞伎 |
次 | 「活弁士 塙韋駄天の吉日」PM/飛ぶ教室 |
MONOの会話体のすごさは、戯曲に書き込まれない間の絶妙さ。
凍りつくその場の空気、微妙な表情と役者の動きに込められた感情の揺れ。登場人物の関係から生まれるファジーで、カオスなゆらぎが劇場にたち込め、観客の心の襞をふるわす。笑いのツボを自在にコントロールする手つきは、まさに熟練の手もみの味。計算を感じさせない役者たちの自然なスタンスが、日常のおかしさをあぶり出す。
あえて素人っぽく演じることで、土田脚本にリアリティを生む。あうんの呼吸で演じる役者同士のチームワークは絶賛に値する。
スクエアも、日常ほのぼのを描きながら、独特のシュールな笑いを見せる。
何を考えているかわからない無気力な若者と、いやにテンションの高いクセのある人物とのかみ合わせがおかしい。
注目すべきは、その笑いが自分たちへも向けられていることで、そこに目的が見えない現実の若い世代への痛烈な皮肉がこもる。舞台に立つだけでおかしい役者のたたずまい、妙にかみ合わない会話が旬。
いのうえひでのりは、新感線本公演「SUSANOH〜魔性の剣」以上に、つか作品ですごさを見せた。つか本人ですら長年封じてきた「広島」を再生させた手腕に演出家としての底力を感じる。
被爆し壊滅した広島が見事に復活したように、「広島」は現代によみがえり、そして稲垣吾郎・緒川たまきという斬新な役者を舞台に誕生させた。差別され左遷させられた山崎(稲垣)が、敗戦国アメリカの子供のために納豆を作るシーンで、何重にも屈折し反転された笑いに身を捩ると、なぜか涙がこぼれていた。
激しく泣き笑いするほど、心揺さぶられる感動。純粋でひたむきな愛ゆえに、真っ直ぐに届かないもどかしさ。その思いを込めて原爆投下のボタンを押す時、あふれ出る言葉は魂の叫びとなって痛切に胸を打つ。
震災に直撃された長田に残された奇跡の「壁」。
その壁を背景に、人間にとっての壁をテーマにした野外パフォーマンスを演じたレプリカント。たった1回の公演に出会えたことが、まさに奇跡だ。エルサレムの嘆きの壁、東西に隔てられたベルリンの壁、そして一人一人の心の壁。ミニマルミュージックが生演奏される中、壁に立ち向かう人間の哀しみと痛みと強さが、次々と展開される。
最初は、ときおり吹く風に衣装があおられ、整地されていない足場の悪さに踊りつらそうなパフォーマーたち。が、しだいに集中して行く様が目に見えた。その時、確かに感じたのだ。震災の死者たちへの鎮魂の祈りが、一転して死者たちから逆に励まされていると。
見守る人たちのやさしさに包まれ、一面に満ち溢れる光で、心が潤いを取り戻したかのように。
琵琶湖の北端・長浜に伝わる神事としての子供歌舞伎。
小学生以下の男子を春休み特訓しただけと思えぬ達者な役者ぶりに、立ち見のつらさも忘れて見入る。わずか四畳半の広さの山車で演じられる子供歌舞伎は、その狭さが見事な小宇宙となり、大人と子供の差を感じさせぬ、昔と今で変わらぬ人間の普遍的な心情をピュアに描き出す。
毎年4/15に4組が演じられるが、今年は呉服町組・常磐山が秀逸。安部貞任とその妻・袖萩の二役を演じ分け、三味線までこなす川村好平君(12才)の熱演には、涙を振りしぼらされる。