ギター片手の音楽仕立てコントのお間抜けがスクエアによく似合う。けっこう
真実を突いているのに笑われるだけの情けないキャラがぴったし。歌をつなぎ
に場面転換する手法は定石どおりだが、ギター弾けないメンバーのためにただ
ひとつのコードをかき鳴らす演奏は自称ハンドベル方式の独自スタイル。それ
だけでもスクエアらしい手作りの暖かさが匂う。
05年は野外の雄・維新派が国内公演せず淋しい限り。が、犯罪友の会ら関西勢
の元気は相変わらず。なかでも楽市楽座が産み出すファンタジーと哲学あふれ
る豊饒でたゆたう時間は至福。ラフレシアを称する円いテントは宇宙そして子
宮なのだろう。
死者が登場する芝居を観て涙するはありがち、だけど「盆がえり」ほどせつな
い想いにとらわれるのも稀有。田舎の実家を舞台に家族の葛藤をぶつけ合う本
作は身を削る戯曲(寺田夢酔)と全身で迫る役者(とりわけ栗原美奈子)に支えら
れている。
エンタメにこそあふれる才能が必要。を実証する2作品がピースピットとハラ
ショー。両者に共通するは、どちらも主宰ひとりのユニットながらあきれるほ
ど多数の関西演劇界役者の出演に支えられていること。これは才能だけでなく
2人の人柄良さと交流広さを意味するのだろう。トラブルタウンなる架空の町
で次々起こる事件をダンス表現で展開する末満は演劇を立体ゲームと捉え、石
原はチェーホフとマンガを同列にみなす相対的価値観に立つ。アンサンブルの
多彩な動きを美しくまとめる技量を持つことでも両者は共通する。
そのピースピットに出演の梅本。タカラヅカばりの男装を披露するが、小柄な
体躯とキュートなエクボの落差が、フェティシュであやしい魅力を発散する。
中性的といえばこの人もハズせない、テクイジの清水かおり。この人を見てい
るとオトコとかオンナの性差はもはや問題でないという気すらする。人間的な
魅力という意味が彼女を通してわかる。
白状すれば、私はかつて川田陽子がキライだった。某○年○組○学級なる劇団
の看板女優だった頃。が、くじら企画に登場する彼女には目が離せない。自分
でも女優に対する好悪がこれほど反転する事態に戸惑うほど。私に見る目がな
かったことも確かだが、女優川田が化けたことも間違いない。その転機となっ
たのは、同じくじら企画の「サヨナフ」。大竹野作品との出会いが、彼女の中
の何かを活性化させたと信じている。今回の「海のホタル」は保険金殺人を題
材にした作品。事件を検証する大竹野の目とそれを体現する役者の鬼気迫る場
面に立ち会えたのは観客冥利に尽きる。芝居は一期一会を標榜するくじら企画
に感謝。(雅)
|