中西理さんの04年下半期ベストアクト


作品部門

第1位  維新派

「キートン」

(大阪南港ふれあい港館前特設野外劇場)
第2位  ベトナムからの笑い声

「ベトナリズム」

(スペースイサン)
第3位  HEP HALLプロデュース

「HAMLET」

(HEP HALL)
第4位  マレビトの会

「蜻蛉」

(京都アトリエ劇研)
第5位  dots

「しずかなごはん」

(ウイングフィールド)


役者部門

第1位 

升田学

(維新派「キートン」のキートン役)
第2位 

岩木淳子

(ジャブジャブサーキット「しずかなごはん」の演技)
第3位 

小山加油

(維新派「キートン」のインディアン少女役)

 関西の2004年下半期の演劇公演を振り返ってみた時、今年の下半期は維新派「キート
ン」に尽きる。サイレント映画時代の喜劇王「キートン」へのオマージュとして作られ
た作品で随所にキートン映画の名場面が引用されているのだけれど、なんといってもキ
ートン役を演じた升田学がキートンの再来とでも言いたくなるようなはまり役で、維新
派の場合こういう形で役者がクローズアップされるといいうことはめったにないのだけ
れど、今回ばかりは最初にぜひ触れておかなければならない好演ぶりであった。
 ヂャンヂャン☆オペラという独自の音楽劇のスタイルは内橋和久の音楽にのせた「大
阪弁ラップ」のような役者の群唱(ボイス)によって構成され、野外ならではの巨大な
美術とも相まって、維新派でしか見られない祝祭空間を演出してきた。実はそれが変わ
りつつあることが新国立劇場の前作「nocturne」で感じられたのだが、今回の「キート
ン」で変化は一層露わになった。
 ただ、ヂャンヂャン☆オペラが放擲されたというよりは次のフェーズに移行したとい
う風に解釈した方が正確かもしれない。内橋の音楽は多くの場合5拍子、7拍子といっ
た変拍子によって構成されていて、そこにボイスが加わるのが元々のスタイルだが、今
回は多くのシーンでこれまでのボイスの群唱が、変拍子に合わせてのパフォーマーの群
舞的な動きのアンサンブルに置き換えられている。これを「動きとしてのヂャンヂャン
☆オペラ」と呼ぶとすると、今回の作品ではこれまであった言葉の羅列のようなボイス
の部分ではなく、こちらが舞台のメインとなっている。
 ここでの動きは「変拍子」に合わせて動くということだけでも、バレエやモダンダン
ス、コンテンポラリーダンスといった既存のダンスジャンルとは明確に異なるアスペク
トを持つものではあるが、それぞれのパフォーマーの動きは過去の維新派の舞台よりも
数段洗練され、精度の高いものとなっていて、これはもう「ダンス」と言っても間違い
ではない水準に高められた。
 その分、これまでのヂャンヂャン☆オペラにあったお囃子的な気分はこの作品ではあ
まりなくなっていて、傾斜舞台に電柱が立ち並び、照明効果によってその影が幻想的に
浮かび上がるシーンなどいくつかの場面では静謐な雰囲気のなかで舞台は絵画的に展開
し、それまでのヂャンヂャン☆オペラが持っていた下座音楽的な祝祭的な要素はあまり
なくなっている。
 巨大な舞台セットはこの公演でも健在。ただ、これもこれまでの作品とは若干異なる
性格付けがなされている。これはひとつには舞台美術に今回、黒田武志が参加していて
、そのテイストによるところもあるが、その以上に今回黒田に美術を委嘱することにな
ったことも含めて、大阪教育大学で美術を専攻していた松本雄吉の美術家としての側面
が色濃く出てきているからだ。
 サイレント映画の喜劇王キートンを主人公としたこの舞台では台詞もほとんどなく、
すべてが身体の動きと美術も含めたビジュアルプレゼンテーションの連鎖により進行し
ていく。そして、「キートン」にふさわしく、冒頭の映画館の場面から映画やキートン
をイメージさせる場面や実際のキートンの映画からの引用による場面などが展開されて
いくが、この舞台ではさらにそれに加えて、ビジュアル版の入れ子構造のようにシュル
レアリスム絵画(デ・キリコやルネ・マグリット)を思わせる場面や構図がそこここに
展開されるばかりか、パフォーマーが途中で背中に背負って登場する便器(「泉」)の
ようにマルセル・デュシャンの引用さえ散見された。
 あたかもシュルレアリスムの絵画が動いていく巨大なインスタレーションとさえ見て
とることができるほどで、全体の印象としても「ハイアート」感が強く、お祭り的な祝
祭感は後退した。維新派の野外劇ならではの祝祭性をこれまで堪能してきたものとして
は若干の寂しさを感じたことも確かだが、クオリティーの高さ、オリジナリティー、い
ずれをとっても文句のつけようがないレベルの高さであったことも確か。ここでは過去
と訣別して常に新たなるものに挑戦し続ける松本雄吉に脱帽せざるえないのである。
 維新派で舞台美術を担当した黒田武志がアートディレクション(宣伝美術・舞台美術
など)、演出がランニングシアターダッシュの大塚雅史、音楽にBABY-Qの豊田奈千甫、
翻訳にTAKE IT EASY!の中井由梨子と異色の組み合わせによるシェイクスピアの「ハム
レット」をHEP HALLの丸山啓吾プロデューサーが実現したのもこの下半期の収穫だった

 南河内万歳一座がかつて「ハムレット」を上演した前例はあるが、関西では小劇場系
の企画としてシェイクスピアが上演される機会は少ない。しかも今回は主演のハムレッ
ト役をエビス堂大交響楽団の浅田百合子が演じるなど関西小劇場の若手中心のキャステ
ィング。若さゆえの課題もそこここで残ったが、清新という意味では好感の持てる「ハ
ムレット」であった。
 豊田奈千甫のノイズ系の音楽、サイトマサミのゴス系(黒のボンデージファッション
)に統一された衣装、黒田武志の金網を多用したメタリックな質感の舞台美術とアート
的に洗練されたビジュアルの方向性はこれまでの「ハムレット」ではあまり見られなか
ったもの。特に演劇の音楽を担当するのはどうやら初めてらしいが、豊田奈千甫の音楽
は場面ごとにその場の持つ舞台の質感を規定していくようなところがあって、美術の黒
田も含め、クールな感覚はどちらかというと「熱い演劇」系の大塚の演出とはある意味
ミスマッチ感があるのだが、これが意外とカッコよくはまって、今回の「ハムレット」
のテイストを決めていたのではないかと思う。
 中井由梨子の翻訳は平明な現代口語を多用して、シェイクスピアの言葉遊びのような
レトリカルなところはかなりカットして、せりふのスピード感を生かそうという翻訳。
その意味ではハムレットの哲学的だったり、衒学的だったりする部分はこのバージョン
の台本ではだいぶ後退していて、その分、分かりやすくはあるのだが、やや深みに欠け
るきらいもある。大塚の演出は空間構成に工夫を凝らしたのが特徴で、原作にはない集
団により剣を交える冒頭のイメージシーンをはじめ、父王の亡霊を6人の女優が演じる
など、集団演技がそこここで活用された。
 「ハムレット」のテキスト解釈の深みという面では不満も残ったが、場当たり的なプ
ロデュース公演が多いなかで、プロデュース公演でしか実現できない舞台をしっかり作
り上げたことは評価に値する。
 自分の年間ベストアクトとの差別化を図るためにここでは自主的に「関西に拠点を置
く集団が関西で上演した舞台のみを対象」にしてきたのだが、今回はここでかなり困っ
てしまった。実はベトナムからの笑い声、マレビトの会http://d.hatena.ne.jp/simoki
tazawa/20040917
は上半期にも選んでおり、しかも上半期に選んだ作品の方がどちらか
というと上位ではないかということから、できれば選びたくなかったのだが、他に選ぶ
べき好演が見当たらず、これを選ばざるをえなかった。その意味で残念ながら、あくま
で私が見た舞台の範囲内ではあるが、2004年の関西の下半期は全体に低調だったといわ
ざるをえない。
 5番目というよりはあえて番外編的な意味を込めてジャブジャブサーキット「しずか
なごはん」(http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/20041029)を選んだのは岐阜の劇団
ではあるが、この作品自体は構想段階から関西の小劇場ウイングフィールドならびに共
同制作の形で依存症の対策に取り組んでいる医療スタッフや患者、自助グループらから
なる大阪の任意団体「こころ・ネットKANSAI」がからんでいて、「関西発の舞台
」といっても間違いではないと考えたからである。
 これは舞台自体は作演出のはせひろいちならびに劇団ジャブジャブサーキットの健在
ぶりをはっきり示した好舞台で、なかでも群像会話劇のフェーズに「この世界のもので
はないもの」として登場し、鮮烈な印象を残した岩木淳子の演技は素晴らしかった。


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