中西理さんの04年上半期ベストアクト


作品部門

第1位  クロムモリブデン 「なかよしshow」 伊丹アイホール
第2位  ベトナムからの笑い声 「ベトナリズム」 京都アトリエ劇研
第3位  マレビトの会 「島式振動器官」 京都アトリエ劇研
第4位  そとばこまち 「丈夫な教室―彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返す
ことができるか―」
伊丹アイホール
第5位  dots 「10の地点」 京都造形芸術大学春秋座


役者部門

第1位  冨永茜 クロムモリブデン「ユカイ号」の演技など
第2位  奥田ワレタ クロムモリブデン「なかよしshow」の演技など
第3位  田中遊(正直者の会) マレビトの会「島式振動器官」の演技


 クロムモリブデンは関西でいまもっとも充実している劇団である。この上期には「な
かよしshow」(伊丹アイホール)と「ユカイ号」(大阪芸術創造館)とベスト級の舞台
2本を上演したが特に「なかよしshow」は昨年のベストアクトに選んだ「直接KISS」を
上回るほど刺激的な舞台であった。

 青木が題材に選んだのは劇団。芝居は自殺未遂を起こした女子高生コッコ(奥田ワレ
タ)が笑いを取り戻そうと落語のテープをヘッドフォンで聴いている場面からはじまる
。そんなコッコを励まそうと、友人のマリ(金沢涼恵)は卒業直後に男子生徒ハジメ(
森下亮)、トラノスケ(板倉チヒロ)、レンジ(夏)を誘って、「劇をやろう」と言い
出し、そして、劇団なかよしが結成される。

 この後、公演を間近に控えた劇団に会場となるホールの担当者がやって来て、台本「
キルキルハイスクールパニック銃殺銃殺銃殺、そしてまた銃殺、あるいは銃殺」を書き
替えてくれと要望する。劇の内容が最近世間を騒がせた高校での銃乱射事件や小学生女
子児童拉致監禁事件、ベッカム爆死事件とそっくりなため、自粛してほしいというのだ

 三谷幸喜の「笑の大学」や映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を連想させる
ような筋立てでここからはシチュエーションコメディや社会派コメディなどへの展開が
予想されるが、まったくそうならないのがクロムならではの持ち味だ。「メタシアター
」「社会派演劇」「笑いの演劇」といった様々なスタイルの演劇を作品の中に取り込み
、それで思い切り遊んでみせるという超絶アクロバットを展開していく。

 最大の魅力は「演劇に対する悪意」と「演劇に対する愛」が微妙なバランスでごたま
ぜになっていることで、劇中に登場する「劇団なかよし」からして、そのあまりな人を
食ったようなネーミングがある種の演劇を馬鹿にしてるとしか思えないのだが、単純に
批評的な笑いなどといってすませられないのはついにその悪意はクロムモリブデンその
ものにさえ牙をむき、なにがなにだかもはや自らよって立つ地盤さえ、確かなものでは
なくなってくることだ。

 ドラッグ、暴力、爆弾、ネット犯罪、セックス、子供虐待、小動物虐待など劇中で改
訂を迫られる内容のほとんどがクロムがよく扱う主題であり、劇団なかよしとはデフォ
ルメされたクロムの自画像であることは明らかだからである。

 こうした、悪意の無限連鎖は一時期の猫ニャーなどにも見られたものではあるが、ブ
ルースカイと青木の資質の違いかクロムの場合はそれがクールさではなく、どうしよう
もない「無駄な熱さ」で体現されていることで、登場する俳優の無駄なテンションの高
さと馬鹿さ加減からも、東京的スタイリッシュとは一線を画す野放図な魅力があるのだ

 一方、マレビトの会「島式振動器官」は松田正隆の新作。自ら演出するのは時空劇場
を解散して以来7年ぶりのことである。松田正隆は本業の劇作としては長崎三部作のよ
うな日常のディティールから立ち上げていくような作品を最近はあまり書かなくなって
いて、演劇に向かう時にはあまりそういうところに関心が向かなくなっているのかなと
さえ、思わされるところがある。今後はひょっとするとこういう古典的なタッチのもの
は映画、演劇ではもう少し実験的で前衛的なものをという風に書き分けていくのかもし
れない、と書いたことがあったのだが、この舞台はまさにその予感を裏付ける舞台であ
った。

 舞台には複数の登場人物が出てくるが、その台詞のほとんどはモノローグに近い詩的
なもので、そこから具体的な状況を読み取るのは難しい。「巨大な鳥」「鳥ハンター」
「耳の手紙」などといった現実離れしたイメージだけがひとり歩きしていくようなつく
りになっていて、シュールレアリスムの絵画を思わせるようなところのあるのだ。

 松田正隆のつむぎだす言葉が記号的に作用して観客の側にそれぞれのイメージを喚起
するようなつくりになっている。「巨大な鳥」「犬男と砂男」「耳の手紙」「振動する
子宮」などそこで提供されるそれぞれのイメージはそれぞれメタファーとしてその裏に
意味を宿してもいそうだが、それは一意に決定されるというよりは見る側に自由に委ね
られているようで、むしろ、ここでは意味よりも観客それぞれの想像力のなかで屹立す
る絵画的イメージの方に重点は置かれている。日常のディティールを巧妙に排除してい
くことからなっているその作品へのアプローチにはトリのマークを思わせるようなとこ
ろがあって、それは長崎三部作などで松田が行ってきた日常的な会話の隙間から非日常
や隠された関係性を垣間見せる「関係性の演劇」とは対極的なアプローチといえるだろ
う。

  そとばこまち「丈夫な教室 ―彼女はいかにしてハサミ男からランドセルを奪い返
すことができるか―」は小学校の教室が舞台。夕暮れ時のなかひとりの女性が入ってき
て、静かにショパンのピアノ曲を弾き始める。このピアノの音が静かに基調底音のよう
に流れるなか、かつてここであったある事件が再び浮かび上がってくる。

 小原延之の新作。前回公演で辰巳琢郎座長時代の旧作「猿飛佐助」を上演し、ある意
味「どうして」と思わせたが今度はこんな舞台を上演するとはとびっくりさせられた。
スタイルはそんなに斬新とは思わないが、小原延之の舞台にかける誠実な思いを感じさ
せる好舞台であった。

 この舞台は池田小学校での連続児童殺傷事件を下敷きにしているのだけれど、これま
での小原の作品の方向性からこういうものが出てくるのは予想できなかったので驚かさ
れたが新生そとばこまちになっての新たな方向性を示した舞台でもあった。

 この集団は元々優れた役者集団であることが原点にあり、作品の方向性、演出・演技
のベクトルが一度かみ合うとこういうシリアスな主題と正面から向かい合ったストレー
トな会話劇でもこれだけの舞台成果を見せてくれる。集団としての底力を感じた。

 ベトナムからの笑い声「ベトナリズム」も笑いを志向した公演のなかでは出色の出来
栄え。この集団はきわめてレベルが高いのだけれど、いつも京都の行きにくい劇場でこ
そっと公演をしているせいか、関西でも知る人ぞ知るという存在となっているのがなん
とももどかしい。

 dots「10の地点」は一応、dotsと書いたけれど正確にはマルティメディアパフォーマ
ンス集団のdotsのメンバーを主体とした京都造形芸術大学の卒業制作として上演された
舞台。大田省吾のテキストを元にして春秋座の大空間を使いこなし空間構成のレベルの
高さを見せ付けた。

*1:関西に拠点を置く劇団が関西で上演した舞台のみを対象にした



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